蝉雑記帳‘99


1、奄美大島第二のニイニイゼミ

 奄美大島にクロイワニイニイを除いてニイニイゼミが二種類いることに気づいたのは、 奄美大島から帰ってきてからだった。採集してきたニイニイゼミの鳴き声が、昨年のもの と異なっていたからだ。その鳴き声は、ちょうど沖縄のニイニイゼミに似ている。あるい はまったく同じなのかもしれないが、録音をして調べたわけではないのでわからない。
 7月10〜11日にかけて、奄美大島に行っていた。今回は赤尾木(あかおぎ)の近く の芦徳(あしとく)に泊まっていた。10日の午後、ホテルの貸自転車で芦徳周辺をまわ って、確認できたセミはニイニイゼミ、クロイワニイニイ、リュウキュウアブラゼミ、ヒ メハルゼミ、オオシマゼミで、リュウキュウアブラゼミは二ヶ所ほどやかましく鳴いてい るところがあったが、ほとんどは1〜2個体の声、ヒメハルゼミは一ヶ所のみ、オオシマ ゼミは夕方、赤尾木から喜瀬(きせ)へ行く途中のリュウキュウマツの林で1〜2個体鳴 いていた。11日は本茶峠とアヤマル岬から空港付近を歩いた。本茶峠ではニイニイゼミ、 クロイワニイニイ、ヒメハルゼミがともに多く、リュウキュウアブラゼミは雌と思われる ものに逃げられただけで、声はまったく聞かなかった。アヤマル岬、空港付近はニイニイ ゼミだけで、クロイワニイニイはまったく見られず、ススキの枯れた穂に産卵痕を認める のみだった。

クロイワニイニイ
クロイワニイニイ 奄美大島
奄美大島第二のニイニイゼミ
奄美大島第二のニイニイゼミ

奄美大島北部

 沖縄のニイニイゼミの鳴き声は”チィー”から”ジィー”移る部分に特徴がある。そこ で1988年7月に奄美大島のニイニイゼミも沖縄のニイニイゼミと同じであろうと思い、 確かめに行った。ところが、鳴いていたのはまるで沖縄のクロイワニイニイのようなやや 細い声で鳴くニイニイゼミだったのである。それからずっと、奄美大島のニイニイゼミは このニイニイゼミだけしかいないものと思っていた。しかし、沖縄のニイニイゼミのよう な声で鳴くニイニイゼミはいたのである。なぜ気がつかなかったのかといえば、先入観と つねに大合唱になっていて、個々の鳴き声が聞き取りにくかったためと思われる。沖縄の ニイニイゼミのような奄美大島第二のニイニイゼミはおもに丘陵地帯から山にかけて多く、 リュウキュウマツの中程から下にとまっていることが多い。飼育用に採集したニイニイゼ ミはおもに本茶峠のリュウキュウマツの低いところにとまっていたものである。形態的に は黒化が著しい、口吻がわずかに短いぐらいである。もっとも、第一のニイニイゼミにも 黒い個体が見られるので決定的とは言えない。セミカビの感染率が高く。飼育していたニ イニイゼミもほとんどセミカビで死んでいる。これに対して第一のニイニイゼミは平地か ら山にかけて分布し、小さなリュウキュウマツの場合は低いところにもとまるが、ある程 度大きなリュウキュウマツになると、木の上の方にしかいない。出現はクロイワニイニイ、 第二のニイニイゼミ、第一のニイニイゼミの順で、第二のニイニイゼミはセミカビのため に、短期間で、第一のニイニイゼミが主流になると思われる。


2、外れた予言

 蝉雑記帳‘95に1999年7月、大地の渇きがニイニイゼミを減らすであろう。とい う予言が、いやそんなことは書いていない。4年前の1995年、秋から冬にかけて雨が 少なかったのでニイニイゼミの一世代の長さ3年〜5年で4年が最も多いため、1999 年はニイニイゼミが減るだろうと書かれてある。実際のところ1999年はニイニイゼミ は多かった。東京の日比谷公園や代々木公園ではまったく正常な発生状況だった。ここ数 年行っている埼玉東松山市の物見山付近も多かった。いつもなら東武東上線の高坂の駅か ら関越道を渡るまではニイニイゼミの声はまったくと言ってよいほど聞かないのに、今年 は街外れの公園で複数のニイニイゼミが鳴いていた。さらに、いつもなら、関越道をすぎ てからこども動物自然公園にいたるまでは1〜2個体の単独発生地域、動物自然公園から 大東文化大のキャンパスにかけては少数発生地域なのだが、今年は関越道を渡ってからは あちらこちらで合唱になっていたし、街路樹で鳴いているものさえあった。これが正常な のだと思うのだが、ほとんど単独でしか鳴いていなかった昨年からは想像もつかないくら い多く、昨年は大東文化大のキャンパスで点々と鳴いていたミンミンゼミも姿を消してい た。
 1994年も比較的ニイニイゼミは多かったと記憶している。しかし、4年後の199 8年は発生量が少なく、1999年は多かった。おそらくこれは、1994年は干ばつ気 味で1995年は夏に適量の降水があったために差が出たものと思われる。
 茨城の自宅のある牛久市西部では木が年々少なくなっている。自宅の庭を除けばアブラ ゼミもろくに鳴かないありさまで、今年もニイニイゼミはほとんどいなかったに等しい。 しかし、隣の茎崎町北西部(つくば市に近い場所)や土浦市荒川沖町など比較的緑の多い 環境の場所では、8月中〜下旬になっても鳴き声が聞こえるところがあったので、発生量 は多かったようである。


3、論争

 ニイニイゼミの減少には都市化による気温の上昇や森林面積の減少による乾燥化がかか わっている。ところが@Nifty昆虫フォーラムでこの説に異議を唱えるものが現れた。 ハンドルネームZikadeなる人物で、気温が関係しているというのである。Zika de氏よると自宅のマンションのベランダで鉢植えのサクラでニイニイゼミを飼育したと ころ輻射熱のため高温で長生きしなかった。そこで成虫の短命化で産卵数が減りニイニイ ゼミが減ったと言うのである。これに対して筆者は気温は関係なく、鉢植えのサクラがセ ミに合わなかったからだと反論した。
 セミの成虫は同じ種類のサクラであっても、木の樹齢、大きさ、樹勢などによって飼育 できたり、できなかったりする。また、飼育装置を取り付ける位置によっても結果が異な ることがある。1999年も6月にシーズンに先がけてエゾハルゼミ1雄1雌(栃木那須 高原にて採集)を庭のソメイヨシノの幹(かなり太い)の高さ3メートル位置に飼育装置 をとりつけて飼育したが1雄は翌日死亡、しかたなく、雌はヤマザクラの太い枝に移すも 死亡。さらに2雄、2雌採集してきて、プラタナス(大木)、ケヤキ(中くらい)で飼育し たが、ケヤキでわずかに鳴いたのみ。そこで、鉢植えのセイヨウミザクラ、リンゴ、カナ メモチを一本づつ用意し、カンレイシャで覆い、生き残りの1雄1雌を入れた。雌はすぐ に死んでしまったが、雄はリンゴやサクラには目もくれず、カナメモチで樹液をとり、次 の日一日だけよく鳴いたが、さらに次の日には死んでしまった。カナメモチは一応雄には 合っていたと思うが、木が小さすぎたため長生きしなかったと思われる。エゾハルゼミは 一見すると枝に止まるセミだが、木の好みはニイニイゼミとほぼ同じである。したがって エゾハルゼミが飼えないとニイニイゼミも飼えないことになる。事実ユッカから羽化した ニイニイゼミ4雄はことごとく死んでしまった。その後羽化したニイニイゼミはイヌザク ラで何とかなったから良かったものの、一時は飼育をあきらめようかと思ったくらいだ。 ちなみに昨年(1998年)はソメイヨシノで飼育できたのである。依然としてセミの飼 育は難しいものである。Zikade氏のセミの飼育がうまくいかなかったとしても少し も不思議ではない。


エゾハルゼミ
写真はエゾハルゼミ

 Zikade氏の反論は続く、ああ言えばこう言うで、飼育の良し悪しやニイニイゼミ の減少に気温が関係していると譲ろうとしない。それにセミの幼虫はアロエなどで飼育で きて食性が広いのに成虫が木を選ぶのはおかしいとも言うのである。石垣島のOhrwu rm氏もZikade氏の意見に賛成のようで、石垣島の市街地にクマゼミしかいないの は気温のせいだと言う。なんとなくこちらが間違いのような気もしてくる。しまいには定 説は時が経てば、変えなければならないこともあるなどと言い出す始末。そのうちウミユ スリカなる人物も現れ、(うるさいからヤブ蚊だな)道管だの師管だのの話になって、不愉 快だし、やたら敵ばかり出てくるので退散した。彼らは論争して相手を負かすのが楽しみ なのだろう。そうとしか思えない。
 セミにしろヨコバエの仲間にしろ導管と師管の区別はつかないと思う。必要な養分を植 物から吸収しているに過ぎない。もし導管からの養分(ほとんど水だけらしい)だけで生 活できるのだとしたら、植物に依存する必要はないだろうし、水だけで繁殖や成長できる 昆虫を筆者は知らない。
 ニイニイゼミが乾燥化に弱いのは1齢幼虫が細い根に定着する傾向があるからで、アロ エで飼育するとアロエは比較的根が太いので生存率が悪い。そこでニイニイゼミはユッカ を使って飼育するのだが、ユッカも大きなものを使うと根が太いため、生存率が下がるの で、やや小さめのユッカを使いセミの幼虫といっしょに育てるようにすると生存率が上が るようである。ヒグラシなどさらに細い根に定着するセミの幼虫は現在飼育できていない。  ニイニイゼミの減少の原因が幼虫にあるのは確かである。それは自宅の庭に毎年、卵の 段階で、多数導入しても脱皮殻の見つかる数は1〜2個にすぎないからだ。同じように人 為的に導入しているミンミンゼミは毎年30個前後見つかっている。Zikade氏はな ぜかこの事実を認めようとしなかった。
 気温がニイニイゼミの減少に関係があるとすると、Zikade氏の住む熊本ではニイ ニイゼミはまだ街中でも見られるそうだから、東京の気温が熊本より上がっていなければ ならない。1970年頃の東京の年平均気温は14.7度、年平均湿度71%、1月の平均 気温3.7度、1月の平均湿度60%、7月の平均気温25.1度、7月の平均湿度80%、 8月の平均気温26.4度、8月の平均湿度79%、になっているが、1990年の統計 では、年平均気温15.6度、年平均湿度64%、1月の平均気温5.2度、1月の平均 湿度50%、7月の平均気温25.2度、7月の平均湿度76%、8月の平均気温27. 1度、8月の平均湿度73%、熊本は1990年統計では、年平均気温16.2度、年平 均湿度73%、1月の平均気温4.9度、1月の平均湿度72%、7月の平均気温26. 9度、7月の平均湿度79%、8月の平均気温27.6度、8月の平均湿度75%で、東 京の気温は1970年頃から比べると、上昇している。特に冬が著しいが、夏の気温は熊 本には及ばない。それと気温の上昇に伴って湿度が下がっていることがわかると思う。こ の乾燥化の事実を元にニイニイゼミ減少、ミンミンゼミ増加説がでてきたのである。
 かつて筆者がヒメハルゼミを鉢植えの木で飼育し、飼育できなかった理由を輻射熱によ る気温の上昇が原因だという話もあったが、この時、鉢植えの木以外のツバキ、カシ、イ ヌザクラ、クリなどの立ち木でも飼育している。結果は同じで数日しか生存していない。 この場合は日当たりのあまりよくない環境だったので、気温の上昇は考えられない。ヒメ ハルゼミは意外にもミズキの横枝である程度は飼育できている。
 セミの幼虫は食性が広いかといえば、確かにアロエ、ユッカなど観葉植物で飼育できる が、ホンコンカポックでミンミンゼミの幼虫を飼育したところ、5年かかって終齢にまで なったが、羽化にはいたらなかった。どうやらミンミンゼミは幼虫期間6年の生活史は持 ってないようである。なおホンコンカポックは弱るようなことはなかった。次に同じ多肉 植物のツヤスガタ(花月、金のなる木)とアロエの場合、ミンミンゼミとニイニイゼミの 幼虫を飼育していたのだが、幼虫はアロエからだけ樹液をとっているようで、アロエが枯 れてきた。しかし、ツヤスガタが健在だったので、そのまま放置。その後アロエが完全に 枯れたため中をあけてみた。幼虫はひん死のミンミンゼミの4齢幼虫がツヤスガタの茎に ついていただけで、それ以外はまったく見られなかった。それにツヤスガタの根は芯だけ を残し、なくなっていた。幼虫は移動のさい周辺の細い根を切断していく性質がある。樹 液をとれる根を探して移動しているうちにツヤスガタの根がなくなってしまったと思われ る。しかし、ツヤスガタは依然健在で、アロエに見られるような葉の厚みが薄くなる現象 も見られない。
 植物にとって根から養分を吸われるのは好ましいことではない。植物によっては何らか の自衛に出てくるものがあるとしてもおかしくはない。それがホンコンカポック、ツヤス ガタであると思う。セミの幼虫に養分を与えないのである。おそらく探せば、セミの幼虫 の飼育ができない植物はいくらでも見つかるであろう。アロエはセミの幼虫にとって都合 の良い植物だったのである。それは養分を枯れるまでとることができるからだ。セミの幼 虫もそれなりに植物を選択している。いや選択せざるをえないわけだ。したがって成虫も 木を選択するとしても何ら問題はない。
 石垣島の街中でクマゼミしかいないのは、セミには木のまばらな環境でも繁殖できるも のと、ある程度まとまった木がないと繁殖できないものがあるからで、石垣島ではクマゼ ミ以外のセミはある程度木がまとまってないと繁殖できないのであろう。イワサキゼミも アロエでは生存率が低下してしまうので、木がまばらな街中では繁殖できないと思われる。  Zikade氏は別に気温を低くしてセミの成虫を長く飼育したわけではない。そもそも 比較的大きな木にとまることが多い、ニイニイゼミ、ミンミンゼミが鉢植えの木でまともに 飼育できるわけがないのだが、イワサキクサゼミの飼育がうまくゆき、気を良くしてほかの セミを飼ったところうまくゆかず、それを温度のせいにして、ダダをこねているように見え る。Zikade氏とはその後、談話会で会っている。当然のごとく一度も話をしなかった。 まったく見ず知らずの人とケンカができるのだから、便利な時代になったものだ。


4、くまぜみマニア

 大阪自然史博物館のホームページの掲示板に、クマゼミを静岡などから茨城に運んでい る人物、電子メールのSubjectに”くまぜみマニア”とあるので、とりあえず、くまぜみ マニアと呼ぶことにして、そのくまぜみマニア氏がクマゼミの移動の協力を求める掲示が あり、電子メールのアドレスも当然書いてあったので、余計なことと知りつつもクマゼミ の終齢幼虫は耐寒性が弱いので、茨城では発生しないという内容のメールを送っておいた。 くまぜみマニア氏の返事によれば、クマゼミの移動を始めて4年、毎年400〜1000 匹を静岡県清水市、神奈川県三浦市から茨城県土浦市、東京都練馬区へ放しているそうで、 今後も清水市市民及び数々の協力者の協力を得、土浦市、練馬区、江戸川区へ放すそうで ある。それにしてもよく何百と採集できるものと感心するばかりであった。
 このメールから数日後の8月9日朝、出勤途中のことである。自宅から東へおよそ50 0メートルほど離れた国道6号線沿いの園芸店を営む友人宅付近でクマゼミ1個体の声を 聞いた。後に友人の話によれば1週間ほど鳴いていたそうである。翌8月10日には友人 宅より北へ400メートルほど行った勤め先の工場付近でクマゼミ、同じく1個体が鳴く のを聞いた。雨上がりの昼頃で、初めは昼休みでテレビがついていたので甲子園からの中 継かと思ったのだが、本物であった。そして、この個体は友人宅付近からの移動かとも思 ったのだが、8月12日朝には友人宅より北西へ200メートルほど離れた場所と勤め先 より北へ300メートルほど離れたケヤキの大木でそれぞれ1個体が鳴くのを聞いている。 さらに8月13日、8月21日は自宅の庭でクマゼミの声を聞いた。そして、8月24日 には8月12日に鳴いていた勤め先より300メートルほど離れたケヤキで1個体が鳴く のを聞いている。これらのことからクマゼミは少なくとも2個体はいたようである。これ らのクマゼミは確認したわけではないが、おそらくメールを出した時期から考えて、くま ぜみマニア氏があてつけのために国道6号線沿いの木のあるところへクマゼミを放してい ったものであろう。
 くまぜみマニア氏がクマゼミを放している場所、土浦市霞ヶ岡町は自宅より北へ10キ ロほどである。8月15日に自転車で行ってみた。およそ1時間で到着、途中クマゼミの 声を期待したが、全く聞くことはなかった。クマゼミは通りを挟んだ2件の農家の屋敷林 で鳴いており、午前10時頃だったためか10個体ぐらいの合唱で、ケヤキの木がかなり 高いので姿は全く見ることはできなかった。



5、あまり影響のなかったヒグラシの雄

 8月8日、埼玉県東松山市物見山より採集したヒグラシ2雄1雌中1雄(7月31日採 集)にセミヤドリガの終齢幼虫1個体がついているのに気づく、昨年の個体と同じように この時点では正常に発音していた。ただ、寄生を受けていない雄と比べると多少鳴きが悪 いような気がしたが、飼育に使用したミズキの調子が今一つで雌が早死にしているので、 植物が原因かもしれない。この雄は8月12日には鳴かなくなった。そして、翌13日に セミヤドリガの幼虫はヒグラシから離れている。この時点で小さい声ではあったが再び鳴 くようになり、8月15日にはノド飴でもあげたいような声だったが、多少回復、しかし、 16日には再び鳴かなくなり、数日後に死亡。死亡日未確認。


表1アロエから羽化したセミ1999年

 
セミの種類 羽化日 羽化数 幼虫期間備考
ニイニイゼミ 6月24日
6月26日
6月27日
7月3日
7月5日
7月6日
7月11日
7月16日
7月 -- 日
7月25日
1雄
1雄
2雄
1雄
  1雌
  1雌
  1雌
  1雌
  1雌
  1雌
4年
4年
4年
3年
4年
4年
4年
4年
4年
3年
ユッカより羽化
ユッカより羽化
ユッカより羽化

ユッカより羽化羽化失敗
ユッカより羽化
ユッカより羽化
ユッカより羽化
ユッカより羽化
ユッカより羽化
ミンミンゼミ 7月13日
7月20日
7月25日
7月27日
7月31日
8月11日
1雄
  1雌
  1雌
1雄
  1雌
1雄
3年
5年
3年
5年
2年
3年


ミカド型
ミカド型
ミカド型

クマゼミ 7月22日
7月―日
8月19日
1雄
1雄
  1雌
5年
5年
4年


ツクツクボウシ 7月29日
―月―日
8月5日
8月7日
8月12日
1雄
  1雌
  1雌
  1雌
1雄
2年
2年
2年
2年
2年
屋久島雄×本土雌(F1)
屋久島雄×本土雌(F1)
屋久島雄×(屋久島×F1)雌
屋久島雄×(屋久島×F1)雌
屋久島雄×(屋久島×F1)雌
クロイワツクツク 8月―日
8月―日
8月11日
8月14日
8月16日
8月19日
8月26日
8月27日
9月2日
9月4日
9月25日
1雄
  1雌
1雄
  1雌
  1雌
1雄
  1雌
  1雌
1雄
  1雌
1雄
3年
3年
2年
3年
2年
3年
2年
2年
2年
2年
2年
奄美大島産
奄美大島産
千葉県白浜産
奄美大島産
千葉県白浜産
奄美大島産
奄美大島産
千葉県白浜産
奄美大島産
奄美大島産
奄美大島産



6、温帯型クロイワツクツクの羽化

 1999年にアロエまたはユッカから羽化したセミは表1のとおりで、1995年の屋久 島産1雄以来羽化しなかった温帯型クロイワツクツク(温帯でも繁殖が可能と思われる系 統のクロイワツクツク、奄美大島以北)がようやく本格的に羽化が始まった。8月10日 に羽化装置(アロエを網で覆ってある)の中にクロイワツクツク1雌の死骸が見つかり、 後日さらに探すとすでに頭のなくなった1雄の死骸が見つかった。羽化の時期を見てみる と、数が少なく一概には言えないが、奄美大島のもの方が白浜のものより雄と雌の羽化時 期が逆になったりして、ばらつきが多いように思う。特に9月25日の1雄は沖縄のクロ イワツクツクを保温せずに羽化させた時期とほとんど変わらない(沖縄の個体は積算温度 が不足するため一部の雄のみが10月頃羽化するだけ)。温帯で羽化した第1世代目という ことで、おそらく温帯型の生活史に切り変わらなかったものと思われる。白浜のものは温 帯で数世代繰り返しているため、それだけ洗礼されていると考えられる。
 なお、3回目のツクツクボウシ屋久島雄×本土雌のF1は成虫の飼育がうまくゆかず、 F1どうしの掛け合わせや戻し交配はできなかった。


7、奄美大島そして久米島

 10月1〜3日、再び奄美大島へ、泊まっていた場所は7月と同じ芦徳、セミはクロイ ワツクツクが低密度で広範囲に分布、リュウキュウアブラゼミは局所的で7月より若干多 い印象。オオシマゼミの声はない。ホテルの貸し自転車で、赤尾木から喜瀬へ向かう、赤 尾木を過ぎてから喜瀬の集落の手前までの丘陵地帯では、標高の低い海岸近くの道路際の 松林でもオオシマゼミが鳴く。ところが喜瀬の集落を過ぎて手花部(てけぶ)方面へ向か うと、同じような環境と思えるのにクロイワツクツクがほとんどで、時おりリュウキュウ アブラゼミが混じる状態になる。また、喜瀬から用安いたる丘陵地帯では標高の低いとこ ろでもオオシマゼミの声がするが、用安から赤尾木ではオオシマゼミは山の上の方でしか 鳴いていない。  2日、午前中は本茶峠、山ではオオシマゼミ、リュウキュウアブラゼミはもう終わりの ようで、あまり鳴いていない。午後は再び貸し自転車で、赤尾木、喜瀬、手花部から平、 大刈山山麓をへて空港付近にでてきた。手花部ではニイニイゼミ(第一)の声がしていた。 大刈山山麓ではオオシマゼミの声が、わりとしていたが、採集できそうな場所は見当たら なかった。まだ、日暮れまでには時間があったので、調子づいてアヤマル岬まで足を伸ば したのが良くなかった。ホテルまでもう少しのところで、日が暮れていまい。街灯がほと んどなく点々と家の明かりが見えるだけ、日ごろ街灯の多い街で生活しているせいで、夜 が暗いことを思い出した一日であった。  クロイワツクツクはともかく、オオシマゼミ、リュウキュウアブラゼミは日増しに減っ ているような感じで、山の上の方より平地の方の出現が遅いように思えた。


写真は飛行機から見た久米島

 それから1週間後の10月10日、今度は久米島で自転車に乗っていた。久米島はまだ真 夏のようだった。目指すのはアーラ岳、兼城(かねぐすく)の先、儀間から林道に入り、 アーラ岳の中腹を通り、東側の海岸へ抜ける予定で、自転車を押して所々舗装してある林 道登ってゆくと、それまでのクロイワツクツクに混じってオオシマゼミの声が聞こえてく る。環境はリュウキュウマツ主体の雑木林で奄美大島北部に似ている。林道の途中からは 両側にカンヒザクラが植えられている。沖縄本島ならば、カンヒザクラにオオシマゼミが とまるだろうが、久米島では滅多にとまらない。大抵はカンヒザクラの後ろの木で鳴いて いて、とまる高さも高い。比較的低いところにとまる1雌を見つけて採り逃がしただけで 終わる。久米島のオオシマゼミは同じ木で低い音でつないで何度も鳴く時と1度だけ鳴い て別の木に移る時があり、その時は長い前奏音を伴う。一般に急斜面な所で、個体密度が 高くなる傾向があり、帰りによった具志川城跡周辺の急斜面でもオオシマゼミの合唱が聞 けた。ちなみに城跡はセミが鳴くような環境ではなかった。



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